バラ十字会

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バラ十字会の歴史

その5  『バラ十字友愛団の信条告白』(後半)

クリスチャン・レビッセ

新ヨアキム主義
(Neo-Joachimism)

 新ヨアキム主義は諸宣言書の中にいつも現れている。前回の記事で述べたように、フローリスのヨアキムの理論は、新時代の出現を知らせる数多くの予言と共に『エリヤの予言』あるいは『セプテントリオンのライオン』のように、16世紀に興味の復活を経験したのであった。ルネッサンスのヘルメス思想もまた、特に錬金術と数の科学に関連してバラ十字の文献に現れている。 しかしながら、カバラはユダヤ教思想とキワスト教思想の両方共により少ない役割を占めていたことに注目すべきである。他の諸影響も同じように明白である..例えば、周期的であると提示されていた時に関するものなどである。これらの文献は、ダムカールがその源泉の一つとしてイシマエリズム(Ismaelism)について非常によく言及していた。

チュービンゲンのサークル
(The Tuebingen Circle)

 宣言書の中に述べられていた様々な考え方を研究してみると、宣言書の著者についての仮説を立てさせてくれる。現代の専門家達のほとんどは、それを成したのは一人ではなく、むしろビュッテンベルク地方の大学街チューービンゲン市に在住していた学者達と生徒達の小さな一団であったことに同意している。この一団は『チュービンゲン・サークル』(Tuebingen Circle)と呼ばれていた。これは1608年前後に形成され、錬金術、カバラ、占星術、キリスト教神秘主義思想に熱中していたおよそ30人の人々からなっていた。その中でも、ヨハン・アルント、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーーエ、トバイアス・ヘス(Tobias Hess)、アブラハム・ホルゼル(Abraham Hoelzel)、ヴイッシヤー牧師(the pastor Vischer)、クリストフ・べゾールド(Christoph Besold)、そしてヴィルヘルム・フォン・ヴェンス(Wilhelm von Wense)らが最も影響力を持っていた。不十分であると判断されていたルターとカルビンの宗教改革を補足する、新たな改革のためのプロジェクトとして彼らが考案したものであった.これらの学者の2人トバイアス・へスとアブラハム・ホルゼルは以前は秘伝主義と神秘主義を大学の教授陣に広める運動に関わっていた。

ヨハン・アルント
(Johann Arundt)

 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエから霊的な父と慕われていたヨハン・アルント(dobann Arundt,1555-1621)が、この一団の指導者であった。牧師であり、神学者であり、医者であり、錬金術師であり、ヨハネス・タウラー(Johannes Tauler)とヴァレンティン・ウェイゲル(Valentin Weigel)の優秀な門人であったアルントは10、トマス・ア・ケンピスの『キリストの模倣』を広めた人であった。ブランスウイック公宛てに書かれた1621年1月29日付けの手紙によると、彼の願いは、生徒たちと研究者たちを論争的な神学から引き離し、生きた信仰と敬虔な行為の実践へと立ち返らせることであった。彼の神秘学的傾向は、彼の福音書またはルターの『小問答集』(Small Cathecism)に関する説教、そしてParadies Gaertlein Aller christlichen Tugenden, 1621と題する祈祷集に顕著である。彼は、Vier Buecher vomwahren Christentum(『真のキリスト教精神についての四冊』1605-1610)と題する信心深い書を著した。この書は19世紀に至るまで最も広く人々に読まれた本の中のひとつであった。神秘家として錬金術師として彼は、パラケルスス思想の遺産を中世の神学と統合しようと試み、この後者の著作では、精神的ルネッサンスの内的な錬金術の考え方を発展させた。彼はまた、クンラスのAmphitheatrum sapientiae aeternaeの図版の注釈も書いた。

 ローランド・エディゴッファー(Roland Edighoffer)は、コンフェシオ・フラテルニタティスで『自然の書』について語っている一節全部がほとんど、アルントの『真のキリスト教精神についての四冊』の最終冊からほぼ一語一語取られたものである事を指摘している。アルントはその著作、『古代哲学』(De Antiqua Philosopia, 1595)の中で、叡智とは思索の中にではなく、実用的なものの中に見出されるものであるとの強調しているがこれは、各宣言書の中にも見られる概念である。彼は敬虔主義の扇動者の一人であると考えられている。1691年にヨハネス・ケルピウスとその一団がアメリカ大陸へ旅立った時、アルントの著作が携えられていた。神知学者クリストフ・ハーシュ(Christophe Hirsch)の文書類の中から発見されたヨハン・アルントのある手紙によると、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエは、ファーマ・フラテルニタティスを30人の人々とともに書いたことを認めていた。ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエから友人のジョン・アモス・コメニウス(John Amos Comenius)宛てた別の手紙にも、同じ主張がされていた。しかしながら、これらの手紙の信憑性については、いくつかの疑問が挙げられている。

トバイアス・へス
(Tobias Hess)

 チュービンゲン・サークルのメンバーの中には、一連の宣言書が提供した様々な要素を最も適切に統合したとみられている人物、トバイアス・ヘス(Tobias Hess, 1558-1614)がいた。チュービンゲン大学の教授陣の一員であり、パラケルスス派医師、カバラ研究家、哲学者、サイモン・ステユーディオンとユリウス・スペーベーとフローリスのヨアキムの賞賛者であった彼は、おそらくファマとコンフェシオの草案作りに重要な役割を果たしたのであろう。ヘスは、「ナオメトリー」(naometry)活動をし、全世界の改革のためになるというある出版物によって至福千年思想を促進させ統けたとして1605年に告訴された。ファマは彼の考え方を再生させたが、それによると「哲学の中での真実は神学の中では誤りである、とのヘスの主張は間違っている。」と言うことができるようである。ヘスはまた、ある秘密結社の扇動者であるとも告発された。ヘスの告発者たちはその秘密結社の名前 を明らかにはしなかったが、おそらく彼らは、当時最初の手稿の宣言書が出回っていたバラ十字会のことを言っていたのではないかと思われる。

 トバイアス・ヘスはパラケルススの門人オズワルド・クロール(Oswald Croll〉に賛同していた。ヘスはその優れた医学的才能によってヴァレンティン・アンドレーエがひどい高熱を出したときに治療し、その後アンドレーエはヘスをたいへん賞賛していた。ヘスが亡くなったのは宣言者が発行される直前であった1614年で、ヴァレンティン・アンドンーエがその追悼演説をした。この追悼文は後に印刷された。大変興味深いことに、ローランド・エディゴッファーの言及によると、その追悼文には、その本の中にただ一度ずつ、イタリック体の活字で「トバイアス・へス」 と「ファマ」の二つの言葉が含まれており、あたかもこの二つは関係がある事を強調しているかのようである。彼は次の驚くべき事実について言及した。1616年に、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエは匿名で『聖霊の栄光を示すさや』(The Sheath of the Glory of the Spirit)を出版し、その序文の中でそれはトバイアス・へスによって書かれたものであることを示した.面白いことにこの本の中の48もの節がコンフェシオから取られたものなのである!アンドレーエは後に自叙伝の中で、『聖霊の栄光を示すさや』の中に見られる文献の全てはアンドレーエ自身のものであると認めた。 このことから我々は、ヘスがコンフェシオ・フラテルニタティスの一部あるいは全体の著者であったと結論付けることはできないのであろうか?

ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ
(Johann Valentin Andreae)

 1699年というまだ初めのころ、ゴットフリード・アーノルド(Gottfried Arnold)はその著書、『教会と異教徒の歴史(Unparteyische Kirchen und Ketzer Historie)』の中で、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエが′バラ十字宣言書の著者であると主張した。この説は長い間、権威あるものと考えられていた。我々はここでアンドレーエと言うとりわけ特筆すべき人物を扱っているのであることを指摘すべきである.が、この人物に関しては第三番目の宣青春である『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』に触れる折に更に詳しく述べることになる。それにもかかわらずヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエは、バラ十字会員たちとは何の関係もないと弁明していた。そしてその著書『メニッパス』(Menippus, 1617)の中ではバラ十字友愛精神について茶番か、まがい物である等と辛らつな口ぶりであった。しかしながら、フランシス・イェーツ(Frances Yates)の指摘するところによれば、これらの用語はアンドレーエによって語られている時には軽蔑的な意味合いが強いわけではない、なぜなら後者は物語と劇作の道徳影響力に相当な重要性をおいていたのだからである13。またアンドレーエの文学作品の数々は、そのような関心を表していた。

 さらにアンドレーエは生涯にわたって、宣言書の中に提示されているプロジェクトに即した団体あるいは協会を組織するために様々な方法で最善を尽くしていたこともここに付け加えねばならない。アンドレーエが、公的には著しく宣言書とは反対の立場をとっていたのは、彼の宗教的活動の人生を守るためであったと思われる。様々な困難の後、アンドレーエがついにヴァイヒンゲンの助祭の地位を獲得し、牧師の娘でルーテル教会の高位聖職者の姪であるエリザベス・グリューニンガー(Elisabeth Grueninger)と結婚したまさにその時、フアーマ・フラテルニタティスが出版されたのであったが、この出版は思いがけない様々な出来事が導き出したものと言えるかもしれない。

 これらの宣言書の著者が誰であるかの可能性については、様々な憶測が飛び交っている。しかしながら、それらのうちのどれにも完全に満足できるものではない。初期の宣言書の「著者」については、秘密がよく守られていたのであるが、おそらくトバイアス・ヘスとヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエが、宣言書の原文を完成させるという重要な役割を果たしたのであろう。

入門儀式的な物語

 ここでクリスチャン・ローゼンクロイツに話を戻そう。彼はバラ十字思想の設立者として宣言書の中に描かれている人物である。我々はここで、彼を実在の人物として扱っているのか、それとも架空の人物として扱っているのだろうか?多くの言明があるように、これらの文献は一人の人物の伝記を詳しく物語っているのではない。なぜならばこれらの文献は、数多くの側面を提示する入門儀式的な物語からなっているからである。我々は概して、クリスチャン・ローゼンクロイツの旅全体を通して、そして彼のアラビアの国々やスペインでの滞在を通して、東方から西洋へ通過した時に様々な秘伝科学が進歩したことを再発見できるのだと言える。これらの諸科学は、ヨーロッパでさらなる発展を経た後、パラケルススの下で見事に開花したレパラケルススの死後、ヴァレンティン・ウェイゲルなどの人々がこれを継承し、いくつかの欠点を修正して、ライン川沿岸-フランドル地方での神秘主義思想によってより発達させた。バラ十字思想が提案していたのはこの遺産を回復させることであり、そしてその遺産を、新たな時代の到来とされていた時代の知識の体系に含めることであった。

 一連の宣言書は象徴的な物語である事を、数多くの諸要素が証明している。例えば、クリスチャン・ローゼンクロイツの人生の中の重要な日付のすべては、歴史上の重大な出来事と一致している。彼の生まれた1378年は、アビニョンとローマにそれぞれ教皇が立って争っていた大分裂の年と符合している。そしてクリスチャン・ローゼンクロイツの没年である1484年は、マルチイン・ルター~宗教改革を試みた人物~が生まれた年に相当する。現在ではルターは1483年に生まれたと考えられているが、ルターの母親にもそれが1483年か1484年なのか定かではなく、ルター自身はそれを1484年としていた。そこには、1484年にさそり座で木星と土星の合が起こったことにルターの誕生の印を見たパウルス・フォン・ミドルバーグとヨハネス・リッチンペルガーの研究を基にした、占星術の伝統が存在している。また1484年は、パラケルススの文献がクリスチャン・ローゼンクロイツの墓の中に置かれた年であるということも注目に値する。しかし念頭に置かなくてはならないのは、バラケルススはまだ何も書けた筈はなかったということである。というのも、パラケルススは1493年に生まれているからである!墳墓の発見という主題は、「伝統」の中で度々起こっていることであり、この主題については近い将来、もう一度触れる事になる。
 ほんの一歩のみが、考案と象徴とを分けているのであり、ある何人かの著者連は、この敷居をまたいでしまうことを躊躇していないのである。クリスチャン・ローゼンクロイツを考案するためには、一連の宣言書の著者たちは、実在の人々の伝記を適用する必要はなかったのだと多くの歴史家達が指摘している。ポール・アーノルド(Paul Arnold)は、多くの神秘家たちがクリスチャン・ローゼンクロイツと奇妙な類似点を持っていることを示している15。まず初めはフローリスのヨアキムで、彼は東方へ旅した後に友愛組織の設立に着手した。次に「神の友会」(Friends of God)16の創役者であるルルマン・メーシュイン(Rulman Mershwin, 1307-1384)がおり、そしてフローテ(Gerhard Groote, 1340-1384)は「共同生活兄弟会」(Brothers of the Common Life)の創設者である。後者は、内的な体験を重要視する霊的運動、デボーショ・モデルナを発展させた。バラ十字会員たちに多大な影響を与えた本、『キリストの模倣』17の中にこの運動の最たる美しい開花を見ることができる。ポール・アーノルドの所見は、これらの人物達とクリスチャン・ローーゼンクロイツとの共通点が際立っているので興味深いのである~著しく違う点も存在してはいるにもかかわらず。更に、これらの神秘家たちによって広められた数多くの考え方を、宣言書の中に見ることができる。

 これらの事柄を別の角度から見ることもできる。と言うのは、諸宣言書を霊的な体験の記録として読むことも可能だからである.それらは疑問の余地なく歴史的前後関係と一致しているのだが、全ての入門儀式的記述と同じように単純な年代記を越えたメタヒストリーと関係している。ここで我々は歴史の領域を離れ、別の領域に我々自身をおいてみよう。 これが我々に、ヘンリー・コービンが尊んだ「エメラルドの地」をもたらしてくれる次回の記事の主題となる。この研究は、我々が第三の宣言書『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』についての考察を始める前の中間ステージとなるのである。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.90)の記事のひとつです。

 

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